「ステイ・スモール」で一つ一つの取組を大切に

起業するからには、会社を大きくして大きな利益を上げたい、と思う方も多いと思います。そのような野心が、数多くの大企業を生み出し、イノベーションと雇用をもたらしてきました。私が9月まで勤めていたソフトバンクグループもまさにその代表例の一つです。身一つで起業し、現在あれほどのコングロマリット+投資会社を差配されている孫正義社長の経営手腕は、現代の日本の企業人ではおそらくトップなのではないでしょうか。私もその中で働いたことで、その組織文化の素晴らしさや利益追求のシビアさ、トップのビジョン・カリスマの重要性などたくさんのことを学ぶことができました。

また、それ以前を振り返れば、霞が関での勤務も大組織での貴重な経験でした。いま外に出てみて感じることは、国家権力というものの力の強さです。それはもちろん、公益のためというその目的が最大限尊重されるということが一つの源泉ですし、法令を解釈し運用することができる立場であるということも大きいです。政策実現という錦の御旗の下に、様々な人的ネットワークを駆使することもできます。そのようなありがたい環境の中で、日々の事務作業がどのようなアウトプットにつながるのか、権限を行使するとはどういうことか、関係者の利害を調整して物事をつつがなく進めることがいかに難しいかなど、様々なことを知らず知らずのうちに教わっていたような気がします。

そのような、大きな組織でなければできないこともたくさんありますが、逆に小さい組織だからこそできるようなこともあるのではないか、という思い(仮説)があり、いまはこの夢研においていくつかの取組を進めています。その中で、小さい組織の一番の強みだと思っているのは、一つ一つの案件にカスタマイズして、深く取り組めることが容易であるということではないか、ということです。

その思いを後押ししてくれるような内容が書かれている本として、「ステイ・スモール 会社は『小さい』ほどうまくいく」という本を最近読みまして、とても勇気づけられました。この本ではいくつもの大事なことを指摘しているのですが、私が一番意識しようと思っていることは、「いま見えている顧客を大事にすることを最優先する」ということです。

新しい会社を作り、意気込みが高まっていればなおさら、「たくさんの人に会社の存在を知ってもらいたい」「たくさんの人の役に立ちたい」という思いが高まります。私もそういう思いに駆られることが多く、またそれ自体は目指すべきところではあるのでいいのですが、その思いが強くて前のめりになるといいますか、早く案件が欲しいとか、早くたくさんのことをしたいと動きすぎるようなことになってしまうこともあります(もちろん、その方が利益も大きくなるのではないか、ということもあります)。

しかし、この「ステイ・スモール」の本で書かれているのは、そういう強い思いがあるからこそ、まずは目の前の顧客にしっかりと向き合って、いま取組をさせていただいている方にご満足いただくことが、何より重要なことである、ということでした。そうしてサービスの質が磨かれることで、結果的には新しい顧客の獲得にもつながります。

また、もう一つ重要なことは、案件が増やせる立場になっても無理に増やすことなく、会社を小さいままにしておくことこそ、価値のある仕事につながる、という考え方でした。最近の事例などを分析すると、拡大を志向するあまり質が低下したり、あるいは無駄なコストを抱え込んでしまう企業が少なくない、ということが指摘できるそうです。最後には働き方の価値観などにも左右されると思いますが、多様化した社会であるからこそ、小さくて自分の手の及ぶ範囲で活動する企業が生き延びる余地は大きく、むしろ社会へのインパクトを与えられる可能性は高い、また生き方としても仕事と生活の調和を取ることが容易である、としています。

このような考え方は、現代社会における効率至上主義に一石を投じるものですし、大きい企業でないとインパクトのある成果は出せないという思い込みが本当にそうかという、挑戦を投げかけているものです。とはいえ、これまでの経済・社会では、大企業の存在が圧倒的であり、少し前であれば、本当にそうなの?と自分も懐疑的になったのではないかと思います。

ただ、ウィズコロナの時代となり、いまはオンラインでいつでもどこでも会議ができています。また、SNSで世界中の人とすぐにつながり、やり取りができるようになりました。そのようなテクノロジーの恩恵を受け、また人々の意識も急速に変わり、経済活動の主体がマクロからミクロにその大きさを変えていくという現象が静かにではありますが、無視できないスピードで進んでいるように感じます。「大企業が溶解して、その役割が小企業に細分化される」というようなイメージでしょうか。

また、この考え方を地域活性化の取組に広げると、小さな自治体、小さな集落、小さな組織であればこそできることがある、小さな自治体こそ価値のある取組を実現できる、という側面も見いだせるかもしれません。それが見えてくれば、これまで財政基盤や合理化等の観点から強力に進められてきた、市町村合併など行政の広域化重視の考え方に一石を投じ、小規模の自治単位による地域の多様性をより重視した行政システムの考察への流れに力を与えることにも、つなげられるのではないかと期待しています。

この夢研においては、自らが企業としてステイ・スモールを実践しつつ、その考え方が地域活性化においてどのように活用できるのか、しっかりと考えて取り組んでまいります。

心に火をつけるような仕事を

会社を作ってから、そのご報告も兼ねて、これまでの仕事でお世話になった方々にご挨拶に行くことがあるのですが、その際によく言われるのが、「こちらも元気をもらった」というありがたい言葉です。まだまだ駆け出しで何の実績もないところ恐れ多いとは思いつつ、もし本当に少しでもお話してくださった方が元気になってくださっているのであれば、まず少しはお役に立てたかな、と嬉しく思っています。

起業しようと思い当たった際に、起業してどのようなことをしたいのかを考えたのですが、その際にコアにしたいと思ったことの一つが、皆さんの心に火をつけたい、元気にしたい、という単純なことでした。それは「地域活性化は一人一人のエンパワーメント」という、HPにも書かせていただいている言葉で、いまのところ表現しています。

コンサルタントの仕事は、特定の課題の解消に向けた具体的な解決策を提示することでは?という向きもあるかもしれませんが、私はその中においても、一緒に携わる方々の心が熱くなるような、そういうアプローチを常に心がけたいと思っています。

これまでの職業経験において、私は主に政策というツールを扱ってきました。一般的には、政策というのは無機質で、ともすれば予定調和的に調整を図るような側面も多いという印象だと思いますが、自分の経験においてとても記憶に残っている仕事では、自分が行動することで、自分自身の仕事の中身はともかく、周りの方々に火をつけることはできたのかもしれない、という思いを持っています。

例えば、文科省の産学連携ファンドを担当した際には、所管独法であるJSTの皆さんと喧々諤々の議論をしながら、新しいファンディングの仕組みを作り上げていきました。あの時を振り返ると、はじめは文科省がまた無理難題を、という空気も感じていましたが、本当に役立つ仕組みとは何か、という真摯な議論を重ねるにつれて、どんどんと熱気が上がっていったと感じました。ありがたいことに、文科省出向後も、JSTの皆さまには様々な局面・政策分野で、お力をいつもお貸しいただいています。

福井県大野市で地方創生の担当をさせていただいた際に、最も力を入れて取り組んだ、地域資源である水を活用した人口減少対策「水への恩返しCarrying Water Project」もそうでした。年齢や専門、所属に関係なく、(自分も含めて)職員の方や関わってくださった内外の方々の目の輝きが徐々に高まり、力を貸してくれる方々が世界中から集まってきて、いつの間にかどんどんと大きな輪ができてくる、あの体験は本当に驚きでした。取組が一段落したいまでもその熱気はくすぶっていると感じており、何か新しいことにつなげられないかといつも思っています。

そういう、自分の中での成功体験を踏まえ、取組を通じて一緒に働く方々の心を熱くすることを、これからも大事にしたいと思っています。特に、地域活性化や人口減少対策など、課題が複雑で簡単には解法を得られないような課題だからこそ、レシピの案を提供するだけではない、人を通じたアプローチが求められていると考えます。

この夢研でのコンサルティングでは、そういう心を熱くするような企画提案、実施支援をご提供できるよう、頑張ってまいります。

効率だけでなく非効率も大切に

私が約10年働いた霞が関(とその周辺)から離れてソフトバンクでお世話になった際には、その組織文化の違いに驚くことばかりでしたが、中でも印象に残ったことの一つが、一見して非効率であることも大事にしていることでした。

例えば、自分は政策渉外の担当でしたので、特定の技術を活用した市場が具体的に見えている際に、政策面にどのように落とし込み、具体化へのサポートを引き出していくか検討する作業に携わることが多々ありました。それでSBグループの中で担当するチームを探してみると、同じような技術を扱っていたり、同じような課題に取り組んでいるチームが、複数の部署で同時に走っていることを知り、とても驚きました。

というのも、霞が関では、基本的にそれぞれの省庁に分担管理事務が法律により設定され、省庁の中でも各局課に所掌事務が設定されています。縦割り行政の弊害、とよく言われますが、そもそも行政組織は縦割りにより効率的に業務を行うための設計がされており(なので縦割りなのはむしろ当たり前なのです…)、一つの事務は原則一つの課が担当し、責任を持ちます。その常識からすると、ソフトバンクにおいて複数の部署で重複する取組をしているということがとても非効率に思われ、「なぜ所掌事務を整理して効率化しないのか」と当初はいつも思っておりました。

ただ、なぜこのような仕組みになっているのかをベテランの方に聞くと、「これがいつものソフトバンクのやり方だ」ということで、よく聞くとそこには多様性や自主性の尊重という企業風土や、競争原理やアニマルスピリットといった熾烈な生存競争がもたらすものなのだということを、徐々に理解してきました。

行政という組織は、そもそも社会のために行政がすべきこととして法令に定められた(与えられた)事務を最も効率よく扱うために設計されています。ですので、仕事はそこにあるのが当然で、それをだれが責任をもって処理するかが重要視されており、そのために組織が設計されています。

逆にソフトバンクでは、やりたい人がその取組を進め、類似の取組と社内で競争し(もちろん他社とも競争し)、生き残ったものだけがさらに成長していきます。そこには競争にさらされるストレス(人材の定着にも影響しているかもしれません)や、勝ち抜いたチーム以外に掛けられた開発費や人件費などのコストも生じますが、それを必要経費だと考えれば、最も良いものを得られる可能性が高い土壌を作ることができます。また、いいものが成長できるチャンスが確保されている環境として、社員の自主性や多様な考え方を尊重し、その可能性を生かしてあげることにもつながります。

とはいえ、役所タイプの組織ではストレスがないかといえば、特定の事務の担当が決まっていますので、他に代わりがない中で課題に対応しなければいけないという重圧がかかるという側面もあります。また、このように責任の所在が明確になっていることで、その担当者は競争にさらされることなく、しっかりと腰を据えて課題に対応できるというメリットもあると感じています(いつも競争に追い立てられることで判断を誤ったり、他の要因を考慮せざるを得なくなるなどの問題もあるでしょう)。そもそも、ある行政手続きを複数の局課が担当しうるとなれば、どこに相談したらいいのかわからない、誰も対応してくれない、などの問題が起こることもありえます。

このように、それぞれの組織(やその文化)には長所短所があり、これはそもそもの組織の目的に即した設計であるという面に加えて、長い営みの中で徐々に育まれ蓄積されてきたという側面(経路依存)もあると思っています。ですので、すぐに変えるということは困難でしょうし、またその必要はなく、いまある組織・文化を生かしつつ取り組んでいくことがまずは重要だと、二つの組織を直接体験した身としては切に感じました。

(ところが巷では、「公務員は非効率な働き方をしている」と言われることが多いのですよね…それは組織設計の思想とはまた違う側面から、個々人の公務員の働き方を分析している言葉だと思いますので、また別の項で触れたいと思います)

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ところで、個々の組織のことを離れて社会全体について考えてみると、昨今の日本社会の風潮として、効率化を求める圧力が強くなってきて、例えるならばソフトバンク型のイノベーションを生み出すための、多様性や冗長性などを持っておくことが、社会の様々な局面で難しくなってきているのではないでしょうか。
(それはもしかしたら、「貧すれば鈍する」という言葉もあるように、経済成長が鈍り、人口減少への対応も必要になる中で、社会全体に経済的にも心理的にも余裕がなくなってきていることとつながっているのかもしれません。)

効率性の追求という考え方に反論することはとても難しいです。「無駄遣いはやめなさい」のようなシンプルなロジックに置き換えられた際に、どのように反論すればいいでしょうか。社会の様々な場面において、その流れに抗うことが難しいことが多いように感じており、自分もこれまでの仕事の中での様々な局面でその流れに直面し、考えさせられる経験をしてきました。

しかし、効率化が必要以上に追求される社会では、結局何も残らなくなり、人は幸せにはなれないのではないかという危惧を私は持っており、世の中がその方向に進みすぎることを抑えたいと思っています。次回以降、自分のこれまでの経験を踏まえた具体的な例を引きつつ、そのことについて皆さんにお伝えしたいと思います。

オンライン会議で世界が広がった体験

自分の卑近な経験の話で恐縮なのですが、新型コロナの感染者数が急増した春あたりから、以前勤めていた会社では原則在宅勤務になり、それまでもチーム内で活用していたSlackに加えて、Zoomでの打ち合わせをフル活用して仕事をするようになりました。最初は慣れるまで違和感もありましたが、だんだんとオンラインでの打ち合わせの回し方にも慣れてきて、移動時間を必要とせずたくさんの打ち合わせを連続してできるなどのメリットもわかってきて、とても便利に使っていました。

ただ、ただ便利なツールというだけでなく、そのうちに感覚として、自分が動かなくても世界中とつながることができる、という手ごたえのようなものが出てきました。ある意味すごく不思議でもあるのですが、それはただ単に会話ができるとかいうことにとどまらず、一人であっても何かを動かすことができる、という何か新しい自信のようなものや、世界と一体化しているような感覚を芽生えさせてくれたように感じました。

前回の投稿で書いたSNSによる個人の意思表明も同様の例かもしれませんが、テクノロジーには人々をエンパワーメントさせる力があるのだと、様々に世の中でいわれているのをこれまで見聞きしていましたが、自分でそのことを強烈に自覚したのは、今回のZoomが初めてでした。その自覚が根拠のない自信を生み出し、今回一人でこの会社を立ち上げるところにもつながっています。

おそらく、DX化によってビジネスを変える、行政を変える、社会を変えるというのは、まさにこの新しい感覚を見出していく作業の積み重ねであって、ただ単に既存の仕組みに組み込んでOKというものではダメというか、もったいないと思います。テクノロジーを使った人々がそれぞれの個性・感覚に応じて、新しい何かが見える、感じられる、生まれるという体験をすることが自然と期待できますし、そのような新しい気付きがもし出てくれば、それを無視するのではなく、組織として大事にしてあげることが、例えばコスト削減であったり、労働時間の短縮、オープンイノベーションの推進など、それぞれの組織等が抱える課題に対して、根本的な部分から対応することにもつながるはずです。

そして、その感覚、手応えは、おそらく頭で考えていても十分に理解はできず、現場において実践をする中で初めて出てくるものだと思います。そのような現場の感覚を生かすようなDX化が進められれば素晴らしいですし、政府はデジタル庁による取組などを通じて、ただ政府が考える理想の在り方をトップダウンで卸すのではなく、現場を生かすような支援・枠組みの構築などを行っていくことが重要だと考えます。

SNS時代には新たな政策決定の仕組みが必要

先日、ある自治体の幹部の方と意見交換する機会がありまして、その際に、「感覚的に、以前よりも政策を決めることが難しくなっている」という感想がありました。

以前であれば、例えば集落単位、地区単位での意識統一や、青年会などの横のつながりでの合意形成、最終的には地方議会議員による意見集約などの仕組みがある程度機能しており、自治体としての方針への理解を得ることや、実施にあたっての納得感につながっていたそうです。ただ最近は、地方部であってもこのような仕組みが以前よりも機能しにくくなり、その分意見集約が難しくなってきている感覚が、近年とみに高まっているというお話でした。

その背景には、そもそも人口減少による地域力の低下などいろいろな要因があるかと思うのですが、話していく中で意見が一致した点が、SNSによる個人の情報集約力・情報発信力の向上が「決めにくい」状況に影響しているのではないか、ということでした。これまでも、「アラブの春」をはじめとして様々な社会運動がSNSをきっかけに起こるなど、その影響力は世界を覆っていますが、地方という視点で見てもその影響が津々浦々まで及びつつあるのだな、と改めて感じるやり取りとなりました。

SNSの浸透により、一人一人が直接、知識を得るだけではなく、全世界の人々に対して容易に意思表明をできるようになりました。技術的には、ほぼあらゆる政策課題について、電子投票などのDX化された仕組みを用いた直接民主制が可能です。そういうダイレクトな動きができるはずの中で、行政がブラックボックスであったり、議会が延々と議論をしているのを見て、人々が「自分たちは代表を選ぶことしかできない」「入れたい候補者がいない」「直接政策を立案したい」「年寄りばかりの地区会議で意見を言っても無駄」などの欲求不満を抱くのは、特に規模が限定されている自治体単位・地域単位であれば、ある意味当然のことのように感じます。

テクノロジーを活用し、このような不満を改善し、一人一人がより納得感のある形で社会に参画できるような仕組みを真剣に検討することが、これからの時代における地域のエンパワーメントには必要不可欠だと考えます。

他方で、フェイクニュースが問題になっているように、人間誰もが情報に影響されてしまうことは否定できません。何らかの操作をしたいと考える人間からすれば、集団よりは個人単位の方が操りやすいのは明白です。古代ギリシャの時代から、直接民主制の課題はここにあります。ですので、社会として大きな誤りを結論として出してしまう確率をできるだけ減らすためにも、個人の判断の自由度を実質的に守るためにも、大胆かつ慎重に検討を行う必要があります。

これまで受け皿として活動してきた議会を活性化することや、地域の寄合や農協など様々な中間団体をうまく活用する手も排除するべきではありませんし、マスメディアの役割も引き続き重要です。ただ、そこにテクノロジーを組み込むことで現状の課題意識をどのように改善するかという点を、避けて通ることは難しくなってくるでしょう。

もちろん、このような複雑な課題に対して、簡単に新たな制度を唯一解として設定することはだれにとっても困難です(し、安易に「〇〇制にすればすべて解決する」のような扇動が今後も断続的に起きることは大いに危惧されるところで、注意が必要です)。ですので、まずは、数多くの社会実験が必要となるでしょうし、自然とそのような流れが大きくなるでしょう。

「地方自治は民主主義の学校」という言葉にもあるとおり、政策決定への住民参画、地方議会改革など、各地での実践的な取組の積み重ねが、民主主義の新しい姿を考えるうえで価値を持ってくると考えます。その際に、国によるデジタル庁の取組の動向なども踏まえつつ、これまで以上にDXの視点を取り入れ、必要に応じて条例の制定や法令改正を行った上で、制度にまで踏み込んだ実践を重ねていくことが、閉塞感を少しでも切り拓くことにつながるのではないでしょうか。自分もこれまでの経験を生かして、その一端を担うことができれば幸せだと考えています。

菅総理への期待

昨日、菅義偉総理大臣が正式に誕生しました。

組閣の顔ぶれについては、確かに世代交代も進まず、女性の登用もないなど、来るべき総選挙にプラスになる人事であったかどうかは微妙かもしれません。ただし、本来顔ぶれのような印象論で内閣を評価すること自体が、行政に対する姿勢としてはおこがましい面があります。これからの政策立案・遂行の実績によって内閣は評価されるべきであり、各大臣がどのような取組をなされるか、注目していきたいと思います。

何より素晴らしいと思うことは、菅総理が地盤を世襲していない政治家として、総理の座につかれたというその快挙です。政治への期待がなかなか高まらない昨今において、大変シンボリックな出来事だと感じています。

民主党政権において、菅・野田の両総理がいらっしゃいましたが、その前となると第76代の海部総理まで、非世襲の総理はさかのぼるようです。

政治における世襲は、必ずしもわが国だけで起きている事象ではありません。失職のリスクが高く、また出馬までの(費用だけではなく機会、人材など様々な面における)コストが高い政治という職業において、世襲は当然の流れとして起こりえます。支持者から見ても、新参者よりもこれまで一緒にやってきた議員の子息のほうが、人となりも含めて信頼しやすいでしょう。

また、当選後の地盤が安定していることから、当選回数を重ねることや、思い切った意思表示・政治的行動を行うことができやすく、その面で政治家としてステージを上りやすい面もあるでしょう。現に自民党総裁選挙の顔触れや、大臣・党幹部の顔触れを見ると、議員全体における世襲の割合よりも高い割合になっていると思います。

ただ、だからと言って個々の世襲議員の方々を批判していても始まりませんし、真摯に活動されている世襲議員の方々に対して失礼に当たります。課題は、非世襲であっても、有望な人材が政治の世界で活躍できる機会を、仕組みとしてどのように担保するのか、ということだと考えます。それにより、我が国における政治人材の層を厚くすること、人材の流動性を高めることが、政治の質を上げることにつながります。

菅総理は、出身地である秋田の選挙区ではなく、(比較的流動性の高い)大都市である横浜を地盤とし、議員秘書→市議、というルートで登られました。議員秘書になること自体がハードルの高い機会だという指摘もあるかもしれませんが、一つのルートとして重要だと考えます。

加えて、政党による公募というルートも重要です。ただ、関係者に話を聞くと、近年は公募で当選した議員による不祥事も目立つということで、制度の在り方が議論になっている面もあるようです。おそらく、公募で落下傘の形で選挙区に降りる場合、地元の人脈や資金などの面で無理をしないと生き残れない局面が多く、その過程でやりすぎてしまうという可能性もあるのではないでしょうか。

そう考えると、この政治という世界で非世襲の人が出ていくには、現職議員の傘に入るか、政党の傘に入るか、いずれにしても受け皿が重要です。特に、ある程度のコネ(ネットワーク)が必要となる現職議員ルートに比べてよりオープンな選択肢である政党が、どのように人材を集め、当選後も含め手厚く支援していくかが重要です。

そのためにも、与野党問わず、政党は政策を同じにする同士の集まりであるだけではなく、政治の人材を育て、活用することを通じて政治の水準を保つための「公器」であるという意識で、組織として強化されていってほしいと期待します。ときには政策面でどうしようもない対立が内部であったとしても、それを飲み込んで、人材を抱える器としてふるまうことが、中長期的に見れば正しい選択であることも少なくないはずです。また、党として、有力な議員の後継者選びにおいても、公募などの開かれた手続をこれまで以上に活用することも、社会的な責任として考慮することが重要となるでしょう。

菅総理には、非世襲の星としてご活躍されることを期待するとともに、併せて、ご自身のように非世襲の実力のある方が政治参画の機会を幅広く得られるよう、来るべく総選挙も見据えつつ、政治の仕組みそのものについての議論の先頭に立っていただくことを、大いに期待しています。