SNS時代には新たな政策決定の仕組みが必要

先日、ある自治体の幹部の方と意見交換する機会がありまして、その際に、「感覚的に、以前よりも政策を決めることが難しくなっている」という感想がありました。

以前であれば、例えば集落単位、地区単位での意識統一や、青年会などの横のつながりでの合意形成、最終的には地方議会議員による意見集約などの仕組みがある程度機能しており、自治体としての方針への理解を得ることや、実施にあたっての納得感につながっていたそうです。ただ最近は、地方部であってもこのような仕組みが以前よりも機能しにくくなり、その分意見集約が難しくなってきている感覚が、近年とみに高まっているというお話でした。

その背景には、そもそも人口減少による地域力の低下などいろいろな要因があるかと思うのですが、話していく中で意見が一致した点が、SNSによる個人の情報集約力・情報発信力の向上が「決めにくい」状況に影響しているのではないか、ということでした。これまでも、「アラブの春」をはじめとして様々な社会運動がSNSをきっかけに起こるなど、その影響力は世界を覆っていますが、地方という視点で見てもその影響が津々浦々まで及びつつあるのだな、と改めて感じるやり取りとなりました。

SNSの浸透により、一人一人が直接、知識を得るだけではなく、全世界の人々に対して容易に意思表明をできるようになりました。技術的には、ほぼあらゆる政策課題について、電子投票などのDX化された仕組みを用いた直接民主制が可能です。そういうダイレクトな動きができるはずの中で、行政がブラックボックスであったり、議会が延々と議論をしているのを見て、人々が「自分たちは代表を選ぶことしかできない」「入れたい候補者がいない」「直接政策を立案したい」「年寄りばかりの地区会議で意見を言っても無駄」などの欲求不満を抱くのは、特に規模が限定されている自治体単位・地域単位であれば、ある意味当然のことのように感じます。

テクノロジーを活用し、このような不満を改善し、一人一人がより納得感のある形で社会に参画できるような仕組みを真剣に検討することが、これからの時代における地域のエンパワーメントには必要不可欠だと考えます。

他方で、フェイクニュースが問題になっているように、人間誰もが情報に影響されてしまうことは否定できません。何らかの操作をしたいと考える人間からすれば、集団よりは個人単位の方が操りやすいのは明白です。古代ギリシャの時代から、直接民主制の課題はここにあります。ですので、社会として大きな誤りを結論として出してしまう確率をできるだけ減らすためにも、個人の判断の自由度を実質的に守るためにも、大胆かつ慎重に検討を行う必要があります。

これまで受け皿として活動してきた議会を活性化することや、地域の寄合や農協など様々な中間団体をうまく活用する手も排除するべきではありませんし、マスメディアの役割も引き続き重要です。ただ、そこにテクノロジーを組み込むことで現状の課題意識をどのように改善するかという点を、避けて通ることは難しくなってくるでしょう。

もちろん、このような複雑な課題に対して、簡単に新たな制度を唯一解として設定することはだれにとっても困難です(し、安易に「〇〇制にすればすべて解決する」のような扇動が今後も断続的に起きることは大いに危惧されるところで、注意が必要です)。ですので、まずは、数多くの社会実験が必要となるでしょうし、自然とそのような流れが大きくなるでしょう。

「地方自治は民主主義の学校」という言葉にもあるとおり、政策決定への住民参画、地方議会改革など、各地での実践的な取組の積み重ねが、民主主義の新しい姿を考えるうえで価値を持ってくると考えます。その際に、国によるデジタル庁の取組の動向なども踏まえつつ、これまで以上にDXの視点を取り入れ、必要に応じて条例の制定や法令改正を行った上で、制度にまで踏み込んだ実践を重ねていくことが、閉塞感を少しでも切り拓くことにつながるのではないでしょうか。自分もこれまでの経験を生かして、その一端を担うことができれば幸せだと考えています。